全国の影城主の皆様こんにちは。
昨日6月13日は「本能寺の変」を起した明智光秀さんが、「山崎の合戦」で羽柴秀吉さんに敗れて亡くなった日です。「本能寺の変」からわずか11日後のことでした。
「本能寺の変」は日本史最大の謎のひとつとも言われていますが、実際に起こった事象などは資料によりかなり詳細に判明しています。それでは何が謎かというと、「光秀さんの動機」ですね。
様々な動機や黒幕の存在など多くの説がありますが、現在でも定説と呼ばれるものは確立されていません。
まあ、最近は「四国説」が有力なのかな。興味のある方は調べてみてくださいw
光秀さん自体も謎が多く、特に前半生は不明で生まれ年にもいくつかの説がありますが、一般的には信長さんよりも年長と言われており、有力な説のひとつに従うと「本能寺の変」の時には67歳という高齢な武将であったとされています。
IXAの光秀さんは老将には見えませんね。
「本能寺の変」後も天海として生きて徳川幕府を支えたという説もあり、謎の多い人物ですね。
さて、今回はその光秀さんが「本能寺の変」を起した動機についての様々な説の中で、近年では最も「ちがうだろ?」と言われている「信長さんにいじめられた説」について考えてみます。
信長さんは光秀さんを皆の前で罵ったり乱暴したりしたという話があります。特に有名なのが「キンカ頭(きんかん頭、金柑頭)」という悪口でしょうか。
この話の書かれている資料は読み物的な書物であることから、事実であったという証拠とするには説得力に欠けるのですが、司馬遼太郎さんの小説でも「キンカ頭」が大々的に取り上げられたことから有名になりました。
ご存じの通り、金柑とは柑橘類の一種で、丸くてオレンジ色で、つやつやの果実が特徴です。イクサーの皆さんには説明の必要もないと思いますが、この丸くてつやの良い形状から「キンカ頭」とはハゲ頭のことを指します。
「光秀さん=キンカ頭」と思っている人は、このイラストには違和感を覚えたことでしょう。
でも、光秀さんだってフサフサな頃はあったのですよ。
そして、ハゲ頭というのは当時としては珍しくありません。兜を被った際に頭が蒸れるのを抑えるため、髪を剃る(月代)のが当たり前の時代です。
なぜ「キンカ頭」が悪口となるのでしょうか?
月代はもともとは毛を抜いていたのですが、戦の多くなった戦国時代には剃ることが多くなりました。
つまり、この時代には「剃っているハゲ」と「抜け落ちたハゲ」の2種類があったわけです。
そして、剃っている頭はつやつやにはなりませんよね。
そう、「キンカ頭」と呼ばれるのは正真正銘本当のハゲだけです。
大して変わらない ?
いや、イクサーの皆さんだって顔が見えないのをいいことに、他人をハゲ呼ばわりしたり、「オレの額はまだ顔の一部と言える程度だ」とか「オレは堂々としているがあのスダレは許せん」とか「バーコードはちょっとね」とか、仲間同士で争っていませんか?
ただね、ハゲと言われて重要人物を暗殺して歴史に名を残すってのはさすがにやりすぎ。だから「本能寺の変」の動機としては弱いというのが主流の学説です。
しかし・・・、
それはハゲのパワーを甘く見過ぎている。上位のイクサーを見ればよくわかるはずです。
IXAにおける希少種であるフサフサの皆さんは、こんな学会の反応に惑わされないようにご注意を。ヘタすると「本能寺の変」が起きるかもしれませんよw
そして最後にイクサーの皆さんにはとっておきの言い訳をひとつ。
「合戦間隔が5日になって頻繁に兜を被るようになったから思い切って永久脱毛した!」
伝説のイクサーと呼ばれる日も近い!
「本能寺の変」の動機の考察にはなっていないようだが・・・w
・・・。
ペースが落ちているぶん記事の質はあげてもらいたいのだが・・・w
ちなみに、光秀さんの「光」の字の下の部分と「秀」の字の上の部分を組み合わせると「禿」の字になるという、名前の漢字を使った巧妙なあだ名だったという説もありますが、これじゃ誰もわかりませんよねw
それでは今回はこの辺で失礼いたします。
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